G
喜平橋〜小金井橋付近

小平市内の橋マップ
 @喜平橋下流に架かる小桜橋。昭和48年に架設された歩行者専用の橋。この橋の
  少し下流南側にある市立三小児童の通学路にもなっている。右岸の堤には近年イ
  チリンソウの小群生も。
 A喜平橋からワンブロック北側に広がる小平団地の公孫樹並木は、市内で誇れる公
  孫樹並木。あかしあ通りを隔てた関東管区警察学校、自衛隊小平駐屯地の敷地と
  ともに昭和16年に強制買収された陸軍経理学校の跡地で、当時植えられたもの。
 B小桜橋から300メートルほど下流の茜屋橋との間の左岸の一角には、カタクリや
  イカリソウ、バイモ、キクザキイチゲなどが。近くで見守る人の手によって大事に
  保護されている稀少な野草ですから、目で楽しむだけにとお願いを。 
 C茜屋橋付近の左岸には、野菜や花の無人販売も。季節の花を一束づつ牛乳の空き
  パックに水を入れて売られている花束は、上水ウォーカーにも人気!
 Dこの茜屋橋の名称は橋の南側で染料に使う茜の元締めをしていた島田家の屋号
  『茜屋』から。この付近一帯にはムラサキ(紫)と藍に並ぶ武蔵野三染草の一つア
  カネも自生しており、明治初年に島田家が対岸に渡るために上水に渡した3本の材
  木だったそうです。現在の橋は昭和54年に架設。平成4年の橋梁整備事業で拡幅
  改修され、新小金井トンネルの開通により車の通行量が大幅に増加しています。 
 E茜屋橋から下流右岸沿いの道路は小金井市域になり、『上水桜通り』の名称に。そ
  の名称に相応しく、玉川上水堤の桜並木も見応えが!なお橋上流右岸沿いの小平
  市域の道路名称は『堀野中通り』、新田時代の土地の名称から。
 F茜屋橋から500メートルほど下流の貫井橋。『上水記』にも掲載されている古い橋
  で、この付近一帯鈴木新田開拓を手がけた名主鈴木利左衛門が貫井村(現在小金
  井市)の本家から通うために架けたとされ、当初は『鈴木橋』と呼ばれたという。こ
  の橋の上流右岸に下小金井村分水の分水口があったが、明治初期の分水口統合で
  移設に。現在の橋は昭和45年架設。橋下流の堤は紅葉が美しい。
 G茜屋橋〜貫井橋の中間辺りの北側に残る短冊型農地。写真後方の緑の帯が玉川
  上水の木立。この付近一帯は廻田村(現東村山市)を親村として、野中新田から土
  地を譲り受けて発足した回田新田で、武蔵野新田の中ではユニークな形で開発に。
 H茜屋橋〜貫井橋に殖えてきたヒガンバナ(彼岸花)の群落。
 I小金井橋より50メートルほど上流左岸、五日市街道沿いにある海岸寺。茅葺屋根
  の山門は天明3年頃の建設と推定され、小平市の有形文化財に指定されています。
  参道入口に立つ公孫樹の紅葉シーズン、春には山門脇の枝垂れ桜が見事!参道入
  口には小金井桜の由来を記した『小金井桜樹碑』Mも。
 J古くは『金井橋』と書かれ、『上水記』にも記されている小金井橋。昭和5年に架設
  された石橋は平成18年暮から架け替え工事中で、19年度末に完成予定。橋の名称
  は武蔵七井の一つである名水『黄金井』が近くにあったことから。
 K小金井橋の北西詰めに建てられている『名勝小金井桜碑』。新田開拓の促し、開拓
  者の暮らしの安定をねらいとして元文2年(1737)より、玉川上水両岸に植え継がれ
  てきた小金井堤の桜が大正13年、国の名勝に指定された記念の碑。
 L明治16年、明治天皇が観桜に訪れたことを後世に伝えるために植樹された松と、そ
  事跡を記す『行幸の松の碑』。小金井橋上流左岸、海岸寺前に。
 M小金井桜の名声と由来、桜を植樹した当時、武蔵野新田世話役だった川崎平右衛門
  の功績を伝えるために、文化7年(1810)に建立された『小金井桜樹碑』
 N小金井橋の南東詰めに復元された水神社の祠。説明板によると、江戸時代にはこの
  場所に水神社があり、当時の絵画や明治時代の文献にも水神社の祠が見られる。玉
  川上水と小金井橋の安全とともに地域の繁栄を願って建設されたものだったが、長
  い年月で老朽化して台座だけになっていたのを、地元有志が復元。小金井橋の架け
  替え工事に伴い、現在は橋下流左岸に仮移転中。
なお、2007年8月18日現在、Kの『名勝小金井桜』碑は小金井橋架け替え工事中につき仮撤去中です。

@小平監視所付近 A上水小橋〜小川橋付近 B小川橋〜寺橋付近 Cいこい橋〜鷹の橋付近
D久右衛門橋〜鎌倉橋付近 E小松橋〜いちい橋付近 F桜橋〜喜平橋付近 G喜平橋〜小金井橋付近
Hもう一つの玉川上水の見所
Copyright (c) 2005- 小平シニアネットクラブ KSNC Allrights reserved