青梅街道に面して建っている大きな鳥居をくぐると、100m余り続く
長い参道には、樹齢350年もの大ケヤキや種々の樹々が
武蔵野の面影を残している神明宮境内。

その厳かな雰囲気に満ちあふれた参道に、ちびっ子たちの弾んだ声
声がオーバーラップしてきました。

ケヤキ並木をはさんだお隣は神明幼稚園で、緊張でコチコチになっていた気分を
解きほぐしてくれました。来る冬至には星まつり、大晦日には茅の輪廻り、
そして元旦祭…と氏神さまの出番です。

小平神明宮に刻まれる歴史

明暦2年(1656)小川村の開拓願いと共に神明宮の勧請を発願。5年後の寛文元年(1661)宮崎主馬、名主・総農民の協力を得て社殿を造営、小川村の総氏神としたのが神明宮の始まりです。

今日12社15座の神々が祀られています。御主神の大孁貴尊
(おおひるめむらのみこと)は伊勢神宮の内宮と同一神だそうです。

「広く古来から”しんめいさま”と親しく呼ばれており、元旦祭、
どんど焼き、節分祭・・・四季の祭りが豊かに継承されています」
と、由来が門前の説明板に書かれています。

「小川村の開拓」はいくつかの歴史的諸条件が合致して、事業が
順調に進んだ典型として紹介されており、この成功の一要因に、
開拓事業を推進した人々に篤い敬神の心がありました。


小平神明宮境内

かつて、この近辺は「逃げ水の里」と呼ばれるほどの水の乏しい荒野でありました。
しかし青梅街道の開通、玉川上水・野火止用水の完成を受け、
明暦2年(1656)岸村(現在の武蔵村山市岸)の小川九郎兵衛が幕府に新田開発の願いをして、
寛文元年(1661)小川新田の鎮守として、多摩郡殿ヶ谷村(現在の西多摩郡瑞穂町)
に鎮座する延喜式内社・阿豆佐味天神社の社家・宮崎主馬と協力し、
同神社の摂社で岸村神明ヶ谷に鎮座する神明社を勧請。
これが小平神明宮の創建で、初代神主は宮崎主馬とのこと。

当初の社地は野火止用水の南の丘にありましたが、天和元年(1681)村民の要望により
現社地に遷座されました。
明治17年(1884)郷社に昇格。同43年(1909)小川下宿の天満宮・天王宮・愛宕社を
合祀しています。

境内には小川村開拓碑があります。これは大正7年(1918年)、小川村開拓の祖、安次
(小川九郎兵衛)から10世の孫、彌次郎が安次の250年祭を催した際、
他の村民と共に建立したものです。安次の功を伝えると共に、
小川村開拓の由来が刻まれ、小平市の有形文化財に指定されています。
長い参道の終着点にひっそりとたたずむ
神明宮本殿。
参道入口付近に建つ小川村開拓碑 
 
=小平市有形文化財=
境内を流れる小川分水の清流。
生活用水と農業用水として大きく貢献を。
地下125mの水脈から汲み上げられている
若水。水も命の守り神として祀られています。
学業向上・受験合格祈願の絵馬も。
菅原道真公もお祀りされ、ご利益を。
境内より望む小平神明幼稚園
参道に子ども達の遊び声が弾けて。

神明宮年間行事
どんど焼きも盛大に 9月の例大祭 例大祭前夜祭 こどもみこし
★行事写真提供:喜平図書館★
1月 平安祭・元旦祭・どんど焼:「お正月の神様」が「どんど」の燃える炎と共に帰られる「神送り」の小正月行事です。
    成人祭 
2月 節分追儺祭:歳男・歳女の方の、裃(かみしも)を着用しての豆打ちの儀・五色矢の儀。
    祈年祭 (きねんさい・としごいのまつり)農作業を始める前に、五穀の豊穣を祈る。
4月 八雲祭(宵宮祭):九基の萬燈が神社に集まり、市民による露店も沢山出て、境内は賑わいます。
   八雲祭(神幸祭):4月29日早朝から1日かけて氏子各組の「お仮屋」ごとに14kmの氏子区域を練り歩きます。 
6月 夏越しの大祓式(おおはらえしき)は、6月と12月の晦日に行われます。
   茅の輪廻り:(年2回)竹の笹葉を束ねて輪を作り、参道に立てて、参詣者がこれを三度くぐり、厄を祓うのです。
7月 大祓形代流し: 7月初旬  『形代流し』の神事
9月 神明宮例大祭奉祝行事:午前中は小平神明幼稚園の園児を中心とした「奉祝こども祭」
   午後からは氏子・崇敬者の方々により、歌舞演芸が奉納されます。(17日の例大祭日)
11月 七五三詣で:所定の日時に、稚児衣装を着けての『七五三稚児詣り』 

稚児衣装
    新嘗祭:初穂会 この新嘗祭に奉納された野菜を即売する会。
12月 冬至の星まつり 冬至の日に、天の妖星を鎮め和めるお祭り。
    芽の輪廻り 
    年越しの大祓式  除夜祭  
 
神明宮所在地:小平神明宮社務所 
小平市小川町1-2573 TEL 042-341-0407

2006年12月作成

Copyright (c) 2005- 小平シニアネットクラブ KSNC All rights reserved