東京街道に残る史跡を訪ねて


江戸街道(東京街道)はその開発の動機についての詳細は未だ不明です。
記録によると明治20年代までは荷付馬による江戸への道路として人馬の行き来が激しく道を横切るにも
すばやく横断しなければならない交通ラッシュであったそうです。
道路沿いにはすし屋、魚屋、荒物やなど色々な商店がありたいそう栄えたといいます。

その後明治中期よりその姿は全くなくなり最近まで農家が点在するだけであったようです。
そして江戸時代より雑穀の生産が発展し富を得た農家が今も存在しています

大きな屋敷林として、ケヤキの高木も竹林も残っているのが遠くからでも望めます。
残暑の残る8月でも、さわやかな風が吹きぬけていました。
馬頭観世音
              美園町3−11
当麻弥左衛門家陣屋門
                    美園町3−32
                     
 頭部拡大
  馬の顔の
  様に見える。
 寛政2年(1790年)の造立
 願主 武州多摩郡大沼田新田念仏講中
 街道を往来する馬の息災延命を祈って

 東京街道沿いに
建てられました。
  現在は小平霊園正門近くの角にひっそりと。
 花器用にペットボトルの水がおいてありました。
”ちぶさ門”
名主家の門にしては馬に乗ったまま通ることが出来、代官屋敷の門に匹敵する。このように高い門は都下多摩でも数が少なく貴重なもの。
        大木の屋敷林が覆いかぶさるように
     ここは200年以上時が止まっているようでした。
地蔵菩薩
        大沼本道り交差点角
稲荷神社
                 大沼町1−134
  
享保20年(1735)造立
立像の延命地蔵で願主は元新従徳
  大沼本道り交差点角

延命地蔵とは鬼に責められ泣く子供達を
袖の下に隠してくれる地蔵様です。
子供を亡くしている親にはとくに縁の深い
地蔵仏と言われておりま
す。
    元文元年(1736)多摩郡今寺村から名主
    弥座衛門が稲荷神社を勧請して泉蔵院の地内
    本堂の両側に社殿を建てて遷祀し村内の鎮守とした。
    明治元年には村の中央である現在地に社殿を新築し
    遷宮し、明治6年に村社とされた。
     昭和36年に大改築 37年に施工
     氏子区域は旧大沼田新田一円。

     「延命地蔵 賽の河原の由来」
幼い子供が親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、
三途の川を渡れず賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなけ
ればならないとされ、賽の河原に足を運んでは鬼から子供達を守っているという。
                        =日本全国賽の河原めぐりより=
             
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