武蔵野神社
交通量の激しい青梅街道沿いに時が止まっているような銀杏並木の参道があります。
朱い灯籠に導かれて自然に囲まれた武蔵野神社がひっそりとたたずんでいます。、
円成院とゆかりのある武蔵野神社を訪ねてみると・・・。
武蔵野神社の起源


武蔵野神社の大鳥居

奥まった社殿は昭和37年に葺替え、その他の
大改修が行なわれて現在に至っている。
武蔵野神社の起源も野中新田開発までさかのぼる。
円成院住職の大堅が享保7年(1722)10月5日に誓願状を作って神々に誓願し、同族の矢沢籐八らと新田開発願いを幕府に提出し翌8年5月18〜28日検地検分が行われ開発許可が下りた。

開発願いを提出した仲間11名が協議し全開墾地を12等分してその1つを社地と寺地とする。享保年9月3日に上谷保村から毘沙門天を遷宮して村の鎮守として円成院が管理を。

それから140年余、明治維新の神仏分離に際して独立して末社として祭られることに。末社に祀られていた猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)を村の鎮守として改めて祭祀し、社号は「武蔵野神社」とされた。

神主は府中六所宮神官が奉幣の奉仕をし、以後名主定右衛門と善左衛門組名主後見が隔年に神酒・灯明等の神事を勤めることになった。



11月18日(日曜日)の昼下がり
   七五三詣での親子ずれ
   猿田彦大神
   
常夜灯
文政8年(1825)建立
願中は氏子中
     
サルタヒコノオオカミは「道ひらきの神」
開運・交通安全の神様です。背が高くて目が光っていると日本書紀には記述があり、
天狗の原形ともいわれている神様です。
武蔵野神社にあるご神像は、大きな目とがっしりとした体型は穏やかで優しく、
なんともあどけない印象の神様です。

これは青梅街道沿いにある手打ちうどん指田屋の店主が造って寄贈したものだそうです。
神様は姿を現さないから、その姿を見た人がないので、
文献や各地の猿田彦の神の像などを参考に造ったそうで
とても器用な人で、店の前の水車も手作りだとか。
  

高橋定右衛門の墓標

与衛門組名主高橋定右衛門は御門訴事件よる市内唯一の犠牲者で獄中死.

御門訴事件とは、品川県から布達された飢饉に備えるための貯穀制度に武蔵野12か新田の農民達が反対して品川県へ門訴した。
           花小金井5−453
子守地蔵 (秀五朗地蔵)

小平の良寛とも言われる無類の子供好きの
浅田秀五郎という人が
「死んだら地蔵にしてくれ、子供を数多くの災難から救いたい」
と遺言して没した。
甥に当たる勘兵衛が文久3年(1863)この地蔵を建立た。
現在も人々の敬慕を集めている様子は
捧げられている花が物語っていました。

                青梅街道沿い


     
     
所在地  花小金井8丁目26

もう1つの見所       ボーイスカウト小平第一団
今日はボーイスカウト小平第一団のカブスカウト(小学2〜5年生)の野外活動日。参道脇にスカウトハウスがあり、公園では子供達の元気な声が・・・。

ボウイスカウト約100年前にイギリスで始まった青少年教育活動で自立心を持った健全な青少年の育成を目的とした世界的な教育団体。小平第一団は40年以上前からここを拠点として活動(円成院が土地を無償で)約100人の会員。
年齢により5つの部門に分かれて、それぞれ月2回活動。
指導者は訓練機関で指導を受けボランティアとして活動している。
 
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2007年11月作成